いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

薫風

「しみったれんな〜」とセルフで突っ込んでしまうことはないだろうか。

気分が落ち込でいるとまでは言い難いが、帰りの電車や自家用車のなかで、やけに(後になって思えば必要以上に)エモい曲をかけていたりする。通常では、ユキ・ラインハートAORを聞いて疲れを癒すはずが、聞き込んでもいない「裸の心」であいみょんしちゃう、といった具合。FMにアクセスせずに、無防備な私に閉じこもりたくなる。

意識以外の感覚刺激によって思い出しちゃう「別に君を求めてない」エクスキューズも込みで「エモく」なっちまう。この時期空気は乾燥してるのに、気持ちの上では常夏の島にいるような湿気が満ちるように感情が昂ぶる。しみったれている。

しみったれは邪魔者なのか、そうでないのか。

こうした湿気の多いどっちつかずの気持ちは、そうであるが為にどこに向かう訳でもなく、代わりに電車や車といった行き先が設定されている乗り物に身を委ねている時に訪れる。体はゴールへ向かっているけれど、気持ちは何処、目的地もなく彷徨うといった具合。

概して、この後は梅雨のようにしみったれ続けるか、何か晴れやかな出来事、それこそあいみょん鬼リピシャッフル再生の最中に「マリーゴールド」よろしい晴れやかさがなければ、離脱できない。空気に含んだ淀みは雲になり、優しさを獲得した。君が恋しい〜を助長してやまない存在になった。

「別に君を求めてないけど」から「君が恋しい〜」へのマインドシフト。当たり前を言えるようになるまでには、瑛人のダサい暗さをくぐり抜ける必要がある。そうすれば、唐突に、あいみょんのピーカンさにたどり着く。その後は北千住駅らへんを「春の日」に歩くのだ。ほら、もうこんなにも夕焼け。

とはいえこれは不毛な循環だ。当たり前だが、春の日には雨がつきものだし、空気にはまた湿気がやってくる。また瑛人だ。暗がりからぬっと顔を出す。

この永劫回帰でさえ「エモい」のかもしんないけれど、もう「賞味期限」な気がしている。おいしい時期は過ぎましたと言わんばかりにTSUTAYAの棚から撤去されるタイミングだ。過去のヒットソングが旧作となり、終いにレジ横の「大売り出し」の棚に販売用として売りに出される時期だ。黄泉の国へようこそ。

なんどもなんどもしみったれて、晴れのち雨、のちまた晴れを繰り返し、しみったれよ、過去の遺物になってくれ。君とは長い付き合いだったね。全て忘れて帰ろう。しみったれの地獄の回帰を断ち切るのは、私にとってのそれは、おそらく「風」である。