いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

山形への旅/DAY.3「月山」

下山時にわずかな晴れ間がのぞき、嗚咽がもれた。

昨夜のうちに旅館の仲居さんに頼んでおいたお弁当には、おにぎりが二つ、蕗味噌のシソ巻き、昆布の佃煮、柴漬けが添えられていた。

こじんまりとまとめられた姿がかわいらしく、雨が止むまで、部屋に戻って食べた。冷めても美味しい白飯に、あたたまった気持ちがした。今日は月山。この旅程中、唯一の登山だ。

月山八合目までの駐車場はガスに覆われていた。つづら折りになっている細い道を何度もカーブし、1300m近くまで標高を上げていく。次第に晴れるかと思いきや、ガスは一段と濃くなっていった。

ぼーっと現れた駐車場には車が数台確認できる程度だった。車内の気温計は15度をさしていた。初めからレインウェアを着込み、サンダルから登山靴に履き替えて出発した。月山は「過去」の山だ。ガスで周りが見渡せない今日の山行は、内省的になるだろう予感がした。

駐車場から階段を上がるとすぐに湿原が広がる。

キスゲなどの高山植物を眺め、湿地を探索するのに少しだけ遠回りする。弥陀ヶ原湿原。月山の火山活動により作られた平地にできたという看板を見つけた。

ガスの濃さで周囲の明るさが変化する

木道が整備されており、山道は基本歩きやすい。

ただ、所々に岩場があったり、ほとんど小川のようになっていいたりする箇所もあった。歩き慣れていない人は転ぶだろうし、打ちどころが悪いと怪我しかねないなと思いながら、数人の登山者を抜かした。

ほとんど川のようになっている道。防水のローカットシューズだったのでへっちゃらではある

道中には雪が残っている箇所もあった。トラバース道に一つ雪渓が残っていて、慎重に進む。

駐車場に入る道中、車内でJess GlyneeのThursdayを聴いてきた。*1。「木曜日にはメイクはしない。スウェットを着て、何もしない」という歌。I just wanna feel beautifulと何度も出てくるフレーズが、その通りだよなと感じる。

ガスガスで、眺望の取れない登山。「今日はいくのをやめておこう」と思われるだろうけど、今日、月山に登るなら、これでよかったのだ。

山頂手前の雪渓。この雪の向こうは「あの世」という感じがした。

迷い込んだようになる。来た道も、これから歩く道も数メートル先しか分からない時、山の下に残してきたものから隔絶されたように思える。

ただ、歩くしかない。アプリ上の地図は現在地をさしているけれど、それを肉眼で体感できない。足元のすべる箇所に気をつけながら、ただ、歩くしかない。

もう少しで枯れそうな花。今年も全うしたんだろうな

祈りのような時間だった。

実際、山頂についた時には、撮影が許されていない月山神社の本宮で手を合わせた。

願いごともしたが、いくつかの末社を回るうち、願い事を唱える以上に、気が静まってくのがわかった。手を合わせ、目を瞑り、息を整える。

 

この後、下山中にある出来事があって、泣いた。

ほんの数分だけ、景色が晴れた。遠くに照らされた山並みが神聖で、神々しかった。なんというか、山が応えてくれたみたいだった。「がんばれな」と励まされているようにすら思えた。

湯野浜温泉の海水浴場。昔、家族で訪れたことがあった

冷たい、あったかい。海水の温度が一定でないのを、全身で感じた。

月山を降り、ドライブインで大量のもつ煮込みを流し込んだ後で、海に行った。湯野浜海岸。一度、家族旅行で来たことがある。

海水浴をしている人たちの横で、マットを敷いて、日傘を立てた。水に足を浸した後、帽子を顔に乗せて、少し眠った。海の音が耳元で鳴り続ける。

この後、結局海入りました。ほんと楽しかった

引き波に体が持ってかれ、波と一緒に体をふわっと浮かす。歩くしかない山に対し、体を預けるしかない海。環境に身を置く仕方が違う。漂っていたら、いくぶん体がほぐれた。Thursdayにあるように、うつくしさだけを味えた日だった。