いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

山に在る日の幸い

f:id:loyalbravetrue:20220804122217j:image

命を終える時、あらゆる山の記憶を噛み締めて「本当に豊かな人生だった」と最期の一息をつきたい。山は楽しい場所であると同時に、命をたたむ準備を少しずつ進めるための場所になっている。

山で大切な人を亡くした人と、やり取りを続けている。故人の話を聞くのではない。どの山に登っただとか、今こういうことが気になっているとか、近況報告なんかがメインだ。

ただふとした時に、生前のエピソードが挿入されることがあり、その方の人生の「前後」のようなものを垣間見ることがある。前がなければ、後もない。人生を変えてしまう出来事をすぐ近くに感じる。

 

北アルプスを眺めたくて、蝶ヶ岳に行ってきた。

午前9時前、長い樹林帯を登り歩いて蝶ヶ岳ヒュッテにたどり着いた。その後方には、槍ヶ岳が当然のようにあった。

風もなく、雲も少なかった。夏の朝の薄く鮮やかな青に、山肌の濃い緑、グラナイトカラー、雪渓の白が、大げさでもななんでもない模様を作っていた。南にある穂高連峰にはうっすら雲がかかり、影が山肌に落ちていた。

 

ヒュッテの自販機で買った400円の三ツ矢サイダーの封を開け、半分以上を一気に飲んだ。

「どれだけの人が入ったのだろう」というのと、「どれだけの人が亡くなっているのだろう」というのが、同じ重さで頭をよぎった。

Instagramをひらけば、山の写真、山に行っている人の写真がある。どれもが夏山。写っている人は大抵笑っている。真っ白な歯を見せてニカっと笑う人。カップルで登って達成感に包まれている人。小さな四角い写真には、生きている感じが濃い。

きっとこの日もたくさんの人がそうした写真を撮り、SNSにアップしただろうと思う。亡くなったあの人も、生きていればきっと今も山に登り、高山植物を愛でているのだろう。北アルプスで命を閉じた人も同様だ。去年の秋、積雪期に奥穂に挑んで行方が分からなくなり、遺体で発見された同世代の人の話を地元の居酒屋で聞いた。穏やかになびく北アルプスの景色に命が溶けている。

山に在る日は幸せだ。立ち会えた出来事は、カラーのフィルムに焼き付けられるみたいに、ずっと頭の中にあって、いつでも現像し、再生できる。「あの日はこうだったよね」とすぐ言える。山以外の記憶もそう。お風呂屋さんを探したこと、車内のこと、鮮魚店で刺身定食を食べたこと。

美化されて、それは事実ではないのかもしれない。でも、それでいいのだと思う。醜悪になることはないし、薄れてしまうよりずっといい。

 

北アルプスは登ったことがない山ばかりだ。「いった方がいいよ、モルゲンがきれいだから」と言われた涸沢。遠くから眺めるとこんななんだな。上高地から槍ヶ岳までは思ったよりも長そうだ。ああ、まだ死ねないなあ。

 

帰りに寄ったラーメン屋で味噌ラーメンをすすった。ひとりで過ごす山も、隣にいる人をいつくしみながら過ぎてしまう山も、みんな私のこやし。

悲しみも、楽しさも、体に溜まる疲労も、それらに翻弄される心には何一つ干渉せず、山脈がただ伸びている。私は存在をただ享受するほかなく、関わり方を間違えれば、山は私の命が終わる場所になる。

稜線に吹いているわずかな風を肌で受けたり、カールから勢いよく立ち込める風に体を預けたり、あの人の前を歩き、足取りを合わせたり、花の可憐さに目をやる時。

周囲に潜んでいる死の可能性は注意深く除かれ、ただ、いつくしむ時間として過去となった時間がどれほど尊いか。帰り道、背中で閉じていく安曇野の街に手を合わせたくなった。

浅間山の輪郭がくっきり見える。群馬から長野に抜ける妙義山、長野から帰る時の浅間山は何度もみた。ここにも、いくつかの記憶がある。くっきりとなだらかに伸びていく稜線は、あるところで雲に包まれていった。

 

山で大切な人を亡くした人は、山や森の風を感じて故人の声を聞くのだという。私もきっとそうするだろう。心臓を細引で締め付けられるほど、死んでしまったら痛みを覚える人の声を聞くために、その人の私と違う大きさの足跡を辿るように、山に入るのだろう。一人分の足跡をかつての記憶に重ね、また違う形で山の思い出を作ろうとするだろう。山はいつもの表情をしているはずだ。立ち入る人間のが違うだけで。

 

在るようにしてある。人間一人が関わるにはあまりに大きな存在に分け入っていく日の幸いを、きちんと言葉にしていきたい。いつくしむべき事実を、自分の外に置いていく。

そのためにこれを書いた。