いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

唐沢山へ

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日曜日は晴れの予報だったから、前日に山様の服を用意して寝た。すっきり晴れたはいいものの、このところの寝坊癖が取れずに、出発はお昼直前になってしまった。

目指した山は唐沢山。佐野市にある低山で、山頂には藤原秀郷が居を構えた謂れがあり、神社が立っている。境内には「桜猫」がのびのび暮らしているのも有名。

 

2週間ほど、山に行けていなかった。天気が悪かったりと事情はあるけれど、どこか気持ちが乗り切らないでいた。今週は体調も安定しなかった。熱っぽさが取れず、疲れが取れない日が続いた。

こうした時には、いつものような生活を送るしかない。どこか派手な場所に出かけることも、温泉旅行だのに頼ることも、解決にはなってくれない。生活の中で、可能な限り、自らノイズだと思うものを減らしていかないとならない。

自堕落になるというのでもなく、自己を緩める塩梅を見極めながら生活する。そうして体力を気力を同時に取り戻し、ようやく車を山に向けることができた。

冬の乾いた風が吹いていた。お昼を回る少し前、登山口がある神社の駐車場に着いた。ザックを背負い、サッと歩き始める。カメラはなし。今日は撮影なしで、ただ山を歩きたかった。

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急騰のないなだらかな山道。風が強くても、背の高い樹々によって遮られる。正午を告げる地域放送が聞こえてくる。集落が近い。

 

会社の同僚に、「山に入って現実を忘れてきなよ」と言われる。「はい」と答えて山に赴くものの、山に向かう道中そうした言葉を落としてきた。現実を忘れに行くのに、現実から持ってくる言葉は必要ない。私は別の人になろうとした。

でも、低山はそういうわけにはいかない。集落は樹木の間から見え隠れ、山頂に向かうまでには登山客にもよく出くわす。現実を連れて歩いている感覚に近いのだ。

***

今年も多くの山に登った。ひとりで、あるいは二人で。

誰と歩いていようと、誰と歩いていかろうと、目の前の景色を前に呼吸は落ち着き、空気が肌にあたる感覚に身を寄せることができた。日差しは強く、あるいは弱く肌を焼き、風は水分を奪った。そうしたら、胸にしまったボトルを開けて水を飲んだ。今年中ずっとそうしていた。

 

思い返せば昨年の今日は、ある人の家に身を置いて、山を歩いていた。帰りにカラフルな街の中を歩いて、餃子だったかシュウマイだったかを食べた。居酒屋でピンク色の安い酒を飲んだのもあの時だったか。

その後で訪れる奈落を予感できず、ただその時を楽しんでいられて良かった。「この後で最悪なシーズンがある」などと知らせてくれないでくれて良かった。私はあの時のどて煮の味を思い返せる状態にいる。

この約半年後、20代で見ないでいたことに向き合う日々が待っていた。あらゆる記憶が嘘らしく、現実味が消えた。中禅寺湖の浜に打ち寄せる水の音が遠かった。まもなく散る桜がまぶしくて仕方なかった。若葉の茂る5月は、独りでいた時に彩度を失った。

「暖めるための火を絶やさないように、大事なものまで燃やすところだった」と若葉という名の曲で歌ったのはスピッツだ。

この歌を聴きながら登ったのは、夏の赤岳だった。この時は奈落に落ちていたが、頭ひとつを出すことができていた。赤岳は雲ひとつない晴天の中で、私に全貌を見せてくれた。耐え抜いた先に夏があった。

 

***

山に行った時のことは全て覚えていて、それは私の肥やしになる。燃やさなくも、私の中で肥やされる中で熱を帯びる。それ以上は求めない。熱くある必要はないからと気づいた。私が熱を感じられるだけで良い。すでに暖かい。

10月末、雪山になる前のアルプスで私は奈落から飛び出ることができた。目の前の景色、雲の平山荘の澄んだ空気に自分が戻った気がした。鮮やかに染まる山肌とハイマツのコントラストを受け入れることができた。雲の平から湧き出る黒部の水の音は大きく、鮮明だった。何度も喉に流し込んだ。

紅葉が終われば、山の道は落ち葉で賑やかになる。くすんだ茶色が敷き詰められ、ふわふわと足元が優しくなる。低い山を歩くとそれがわかる。

最後に着いた浅間山で、集落を見渡すことができた。今年も終わりがやってくる。

 

私は山で正されている。

 

どんなに気が落ち着かなくても、誰かに助けを求めたても声にならずとも。その時々の悩みを背負ったままで山に向かい、帰りにいつも背中を少しだけ軽くしてきた。乱れた物事をあるべきところに返してくれるものが山にあった。

 

帰り、集落を通って車に戻った。神社の神主さんが掃き掃除をしていた。「風が強かったでしょう」「そうですね、山の上では少し」。愛想のいい笑みをこぼす神主さんに会釈し、強い西日を受けて帰路に着いた。