いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

とんかつ無情

六本木がギラついていた。ヒルズの方は薄暗く、通り沿いのネオンがどぎつい。ミッドタウンの方は、クリスマスが終わっても街路樹に明かりが巻き付いている。そこそこに門松があるのに。どっちに行ってもギラついている。

 

午後8時と半刻。1時間と少し前に食べたシナモンロールとコーヒーが電池切れになろうとしていた。腹の中にはまだカロリーがあるのに、微妙に腹が減っていた。

この居残りカロリーを減らすべく、進路を北に取る。六本木が暗くなる方に歩くと、乃木坂を経てやがて青山に流れ着く。中島みゆきを聴きながら、すれ違うリーマンズを景色にして、夜風を受けて歩く。今日は少しあったかい。

 

青山の吉野家はカウンターが全部混んでてダメ、駅前のスタバがあるビルのサラダ屋は葉っぱと少しの鶏肉で1500円と、いろいろと話が合わなそうなのでダメ。流れ着いたのは、とんかつまるやだった。オープンキッチンで、油の香りがじわっと香ってくる。

ロースカツ定食750円。この時間から、またシナモンロールの残骸の上から被さるものとしてはめちゃくちゃ重いのだけど、それとなく頼む。「ロースカツで」

 

高校生だったころに、美味しんぼをやたら好きな人と親しくしていた。家に遊びに行けば美味しんぼのVHS、小さな商店を営んでいるそいつのばあちゃんから、小さなポテチを投げてもらった。それを食べながら観るのがたいていそれだった。

「とんかつ慕情」とは、その美味しんぼの話のひとつ。詳しい展開は記憶の彼方だが、要は、大人ってもんはとんかつを好きな時に食えるやつのことだ、みたいなオチだったのだけ覚えている。ファミレスで頼むハンバーグとご飯のセットが1500円で高いなと感じていた時代。

 

10年も経てば、ホテルのカフェで1500円のカフェラテを平気で頼んでしまうのだが、その時には私を過去に引きつれない。唯一、とんかつだけが、そいつの顔を引き連れてくる。

 

750円にしては大きなロースカツが運ばれてくる。しじみの赤だしに、大根の塩漬け。ほんのり柚子が効いている。肉は柔らかく、少し強情な衣と混ざり合う。塩とカラシ。うまいなあ。ご飯の甘み、赤だしの塩味。キャベツはやや荒切りといったところ。

私ったら、ちゃっかりとんかつを食べられるようになってしまった。高校生の頃の私よ、喜んでくれ。大人になるって悪くない。

 

高校生の頃、いろんな思いを抱いた美味しんぼのそいつとは、ある出来事がきっかけで溝が出来、私があたふたしているうちに他の誰かと結婚して、さらには国外へ居を移した。慕情を感じるにはあまりに遠のいてしまった。