いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

夜のタラさん

「あなたの申請は却下されました」

画面に映る黒い文字を1分ぐらい、黙って見つめる。

胸で息をしている感じがした。文字の数もさほどだから、周りには余白がたくさんあった。文章の上に、承認者の名前がある。

 

最寄りの地下鉄の駅のホームのベンチに座って、申請をしたのだった。余裕をもって最寄りに着いたはずだったが、次々と電車がやって来て、次の便を知らせる電光掲示板の時刻は、日付が変わっていた。寒ぅと体を丸めて、エスカレーターを上がったのを思い出す。

 

何を申請したのか明らかにするつもりはない。だいたいここまで読んで、想像している通りだと思う。

 

申請の内容を走り書きでまとめて、処理を終えた後、頭の中のある場所に人を集めているような感触だった。

「これ、承認してくれるといいな」と未来に淡い期待を寄せてるやつと、「まあ無理だけど、証拠は取れるだろ」と冷めたやつがいた。

 

今日、その画面を見た後で、その2人はバツが悪そうに去っていった。前者は「残念、だったな…!悪気はないだろうからさ」と言い、後者は「ほら見たことか。これを機に考え直した方がいい」と笑っているみたいだった。虚しかった。私が申請のボタンを押して、集合させた場所に残ったのが、先の十数文字。ドットの集合だったわけだ。

 

昔の私なら、ここであらゆる語彙を呼び集めて、いかに却下した側が悪いかを書き連ね、公開した。

どぶさらいを、人前でやってるみたいな。分かるよ、というのが欲しかったのだった。

 

でも、分かってもらうなんてのは虫のいい話しなのだった。

どぶさらいが生むのは、同情だ。テレビがよくやる、可哀想な話しと一緒だ。いや、それ以下だ。クソそのものだった。

 

そうした時期から、少しだけ大人びたところを、今日は過去の私に向けて書いておく。さらには、未来の私が読み返して、未だケツの青い人間であることを笑ってもらうための素材となるのを願って、続きを書く。

 

虚しさを満たすのは、怒りの感情だと思う。

喜びでも、苦しみでもない。寂しさや、怒りだと思う。寂しい状態で生まれたやつも、それを抱えておくと発酵して、怒りや憎しみになっていく。ついでに言うと、憎しみになると粘りが出る。

今日1日の中で、私は怒りを得た文字の並びを2回見た。この文章のはじめに書いたのは、ややこしいけど、2回目のほう。ある意味では虚しさへダイブする手前の助走となるような出来事が1回目で、これは却下の切れ味はなく、なんというか、平然と肩パンを喰らわせられたみたいな感じだった(どんなだ)。

 

私は一連の出来事から生まれた虚しさに対してな、何がしかのことをしたくなった。

 

結果、何をしたのか。まずは手帳に出来事を書いた。殴るように書いた。筆圧と、その乱暴な文字が、さまざまなことを露わにしたように見える。これでよかった。

 

次に、スーパーで夕飯の買い出しに出た。シャケでも焼こうかと思ったが、惣菜のキーマカレーに20%オフのシールが貼られたのを見て、吹っ飛んだ。やめだやめだ。今日は最低限。そのカレー、半額になっていたいちごとパイナップルのカットされたやつ、焼き芋、プリンをパッと買い、家で味噌汁だけを作った。

 

ワッと食べ、LINEで気の置けない人とやり取りをし、メールを返し、必要な連絡を入れた。

感情は入れないでおいた。世の中の仕事論、あらゆる書店の、売上だけのビジネス書コーナーを正面突破でぶち抜くぐらいの勢いでタイピングした。ごめんだけど、だから私のPCのエンターキーはもうヘタレそうだ。ま、社用なのだけど。

 

運動できる格好に着替えて、外に出た。まだ夜は肌寒い。なんでも明日からまた寒波らしいじゃないか。知ったことかと、耳元のイヤホンから音楽を流して走り出す。

都立公園のトラックを3周ぐらい走る。インターバル走にしようと、200mずつ走って歩いてを繰り返した。尻の肉と、下腹の肉が揺れる。お前!こんなとこに、いたっけ人なんて。久しぶりに実家に帰省したら、田んぼだった場所に家が建ってたみたいな発見。まあここには、家族の団欒も、和みもあってたまるかなので有無を言わさず壊しにかかるわけだが。

 

レーニングアプリの運動プログラムをやる。HITTとかいうやつの、初級から始める。

トレーナーのタラ・ニコラスさんは、愉快そうな姉御だった。画面越しに言う。「今日はローレンも一緒ですっ」。ローレンはもう運動しなくてもいいじゃんていうスタイルだった。

ローレンもその人も、語尾が全部軽やかだった。ふっと抜けるような発話。つられてぐいーっと背伸びする。

夜空をぶわーっと見る。ちょこまかした黒文字が私の作業を急かすことがない眼前。世界の色をしている。夜の黒だ。まぎれもなかった。

 

帰りはほどよい速さで、歩いて帰った。

 

虚しさの中に注いでも、溢れていかないでその場に止まるのはこうした瞬間の積み重ねなんかもしれないのだった。

余計なものを無視し、追いやり、ペースを私に取り戻す。私を急かす、鉄仮面も、どうしようもないハゲのおっさんも、なによりも今日私に虚しさを生んだ人間2人も、夜の闇の前では力を持ち得ない。少なくとも、私の眼前からは消え失せるぐらいには。タラさんの無垢な笑顔が夜空にうつる。影写しされる。

 

よろしくないことが起こる日常で、だからこうした怒りや虚しさは無視しない方が良いのだろうなと思う。

すべきものもあるのだろうけども、社会に接続されないような、ただのわがままと後に分かるような事だろうが、虚しい中で立って、バックレンジやスクワットに興じるような時間が、意外なところへ連れ出してくれる可能性は、手放さないでおこう。気分が良いのだから。この気分の良さは、覚えておこう。

明日からどうなるか。湯船に浸かりながら、体を清め、記録を書いた。顔にはハリツヤ系のパックを乗せている。化粧水よぐんぐんしみていけ。目を閉じて、夜とタラさんに感謝するのだ。