いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

山登り

生きることへの執着

「読んでほしい」という文章を読んだ。 添削してほしいとメッセージには添えられていたけれど、読後、そこまで踏み切る事は叶わなかった。私にそういって寄越した人は、人を亡くしていた。そして文章は、亡くした人に宛てられて書かれていた。 添削するに必…

夏の終わり

槍ヶ岳に向かう少し手前、集団の中のおばさんに励まされた。「ふぁいとーー!」。 大きな声がして、上を見た。少し前を行く高齢者の登山パーティ。誰かが叫んだかはわからなかった。大きな声は集団を和ませていた。笑いながら、山荘に向かう。 周囲はガスに…

山と未練

標識に反応する。「あ、あの人の名前だ」。 次に何を思い浮かべるかは、その人によって異なる。目の前の少し上を見て思い出を探すことがあれば、助手席に目をやる時もある。ついこの間出くわした時は、後者だった。 宇多田ヒカルの「虹色バス」が好きだとは…

悔しさ

双六山荘に向かうまでの朝焼け 悔しさが生活の半分以上を占めている。新しい仕事。面白みを手繰り寄せれば、手元ではまだ砂のようで、確たるものを実感できない。 飲み込んで糧とするほかなくても、その状況に耐えるのにも苦労がいる。これを「ネガティブ・…

仙ノ倉山にて

寒さでよく眠れなかった体を、暖かいミルクティーで起こしていく。朝4時半、越後湯沢の駐車場。西側の山並みから少し顔を出している雪面にむかって背筋をうんと伸ばす。 仙ノ倉山に登りにきた。日本二百名山で、お隣の谷川岳に比べれば知名度などは劣るだろ…

茶臼岳には登らない

何度も見たがれ場を抜けていく。稜線に向かってまっすぐに吹いてくる風を肌で受け止めている。那須の山々。茶臼岳には登らない。 熊見尾根から見る茶臼岳。一度登ったきりで以降はずっと眺めているだけ。 地元では「那須岳」という言い方はしない。茶臼岳と…

唐沢山へ

日曜日は晴れの予報だったから、前日に山様の服を用意して寝た。すっきり晴れたはいいものの、このところの寝坊癖が取れずに、出発はお昼直前になってしまった。 目指した山は唐沢山。佐野市にある低山で、山頂には藤原秀郷が居を構えた謂れがあり、神社が立…

山に在る日の幸い

命を終える時、あらゆる山の記憶を噛み締めて「本当に豊かな人生だった」と最期の一息をつきたい。山は楽しい場所であると同時に、命をたたむ準備を少しずつ進めるための場所になっている。 山で大切な人を亡くした人と、やり取りを続けている。故人の話を聞…

ベースの思考が「山行きたい」になってしまった話

結構なことだと思うんだが、仕事中も重要なことをやってる時間以外はほぼ「山」のことを考えるようになってしまった。 なんという変化か。10年前に大学生になったばかりの自分には想像に及ぶ訳が無い世界が待っていた。19歳の自分はその1年後に読書の楽しみ…