いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

家路の消えた図書館

大きな川を過ぎて、緩やかな道を登っていく。ふいに訪れる左への急な坂を上れば、図書館に着く。

おそらく名のある人が建てたんだろうなという造り。700人そこそこが入るホールが併設されていて、屋外から見るとプリンをひっくり返したような円錐台という形ををしている。チョコレートのような外見が目立つ建物。図書館への入り口は円錐台の右手にある。

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車を駐めると、午後5時を回ったところだった。随分と陽が延びたみたい。入り口まで歩く。図書館はまだ開館していた。

閉館前とあって、人はまばらだった。ここの2階に自習室がある。建物の中央付近の階段を上がる。

自習室には大きな長机が2つと、個人用になっている学習机が全部で8ブースある。個人ブースの椅子を引いて座ってみる。

高校生のころ、よく通った。地元の図書館ではなくて、よくつるんでいた人の家が近い図書館だった。そいつと一緒に勉強をして、終わったら河原で水切りをした。たまにご飯を食べさせてもらったりもした。私の地元にも図書館があり、時には迎える側になることもあった。

閉館は午後5時半。10分前ぐらいになると、ドヴォルザークの「新世界」2楽章が流れた。館内に響くコールアングレが好きで、帰り支度をしながらよく聴いたものだった。

 

春、そいつは大学に受かり、私は落ちた。落ちてからの1年間、通える図書館に目星をつけ、自習室を基地にした。ここもそのうちのひとつ。

ひとりで勉強をした帰り、閉館を知らせるその曲が聴こえるのはさみしかった。河原で水切りはしないし、このまま荷物をまとめて帰るだけ。圧倒的にひとりだった。予備校には通わないと決めた1年間の浪人生活。周囲を林が囲む図書館の窓から眺める夕方の景色で、季節の移ろいを感じたものだ。

 

午後5時20分ごろ、閉館を告げるアナウンスが流れた。またあの曲がと期待していたら、なんと流れる曲が、変わっていた。2楽章ではなくなっていた。よくありそうな、綺麗なヒーリングソングになっていた。掠れたようなコールアングレ、ではなく。

 

時間は確実に過ぎたのだ。そいつは大学時代に知りあった人と結婚したし、私は別の誰かに恋をし直した。

で、図書館には共に過ごした記憶と、ひとりで孤独に耐えながら勉強した記憶とがどちらもいた。図書が放つカビのような香りや、トイレの鏡の中にそれを発見した。椅子の座り心地は、当時の私に感覚を戻しさえした。高い天井、いっそう古びた机。窓から見える木々の出たち。

今はどうだ。あの時には出会っていなかった人たちに気持ちを持って生きている。あの頃のような慕情が向けられる人は変わった。今は今で、そいつと会えば盛り上がるのだろうけれど、私は10年だけ歳を取り、人を知ったのだった。そのうち何人かと仲良くなり、幾人は去った。私のことを好く人、嫌う人が現れた。この図書館の本たちのように、いろんな人たちを、と言うのは言い過ぎだろうけれど。聴きたい曲がないことで、私は過去に戻され、その曲を思うことでまた、現実に引き戻された。

 

外に出たところにある自販機で、甘いコーヒーを買った。当時は原付でここまで、家から40分かけて来ていた。冬場なんかは一緒にコーンポタージュなんかを飲んだわけだった。

車に乗り込んで、1分ぐらい、プリン型のホールに目をやる。変わらない佇まい。本当に久しぶりだった。健気に生きたもんだった。傷もつけば、苦しんだりもした。過去の自分が偲ばれる。

コーヒーを一気に飲み干して、エンジンを入れる。帰らなくてはならなかった。ここにあるのは、憎むでもなく、好くでもなく、ただ経過した時間だ。そしてそれは、私を生かす糧になろうとしているのだった。