いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

アド・アストラ

映画「アド・アストラ」を観た。
ノローグが多い映画だった。公開前に言われていた「アクション大作」はミスリード。主人公ロイを演じるブラピが、著名な宇宙飛行士で父のクリフォード(宇宙人ジョーンズことトミー・リー・ジョーンズ)を探しに行くという物語は、静かに、ただすごく叙情的に進んでいく。
動きのあるカメラワークもなく、大ぶりなアクションもなく、ただ独りの男が、同じく宇宙で独りきりでいる父に会う話。
ただ、なぜ孤独になったのかは、父と子で理由が異なる。当然、そうした孤独への向き合い方、映画の中で両者が出す答えも違ってくる。どちらを支持するか、映画的には答えが決まるのだけど、観客にとってはそうとは限らなそうだった。
アド・アストラは、ラテン語で「星々へ」という意味。地球から海王星へ向かう旅が描かれる中、劇中音楽はあまり興奮することなく、淡々と流れて行く。ただ、ロイの方はといえば、次第に状況に対して「感情を出す」ようになっていく。この「感情」が、ブラピの演技で本当に細やかに表現される。
とはいえ、感情の赴くままに人生を歩めばいいという単純な命題には帰ってこない。感情を出してしまったが故に発生する犠牲があるし、それをロイは受け流さない。淡々と仕事をこなし、上層部へ報告する姿は、まさに自分自身だし、友達だし、後輩だしという感じ。そういう日々の中で抱え込む孤独があばれるとき、カメラや編集が狂い出す。
人間関係や感情の表現に違和感があって、思っていることをうまく伝えられない、任務や仕事に忠実でいたいけれど、一方でその責務感故に、生活がままならない。そういう現状がロイを独りにした。そして、地球に帰ってくる。
父クリフォードはある野心を持って宇宙に飛び出した。それと似たような野心を、子であるロイも持った。ただ、似たもの同士として描かれた2人が、文字通りたもとを分かつ瞬間が来る。それを迎えるために、それまでの美しい叙情的な映像と、ロイの語りがある。