いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

山の最終目標は「生きて帰ってくる」という話

夕焼け

「鶏つけそばでーす」。折りたたまれたように盛り付けられた太麺の上に、淡紅色のチャーシューが2枚乗っていた。

11月の最終週になっても、実家の猫は帰ってこないらしかった。母の誕生日に合わせて防寒用の作業着を送ったのだが「受け取った」の連絡がなかったのは、思った通り、この猫の不在によるショックが大きいのだろうと考えさせられた。「よそ行きにはしないでね」とだけ伝えて簡単に電話を切った。

紙エプロンをして、麺を取り、つけ汁に移していく。ここ数日ラーメンを食べすぎているから、自制心が緩んでいるのだと分かる。自分を律していられない時には、何かしかの問題が起きている証拠であって、実際、そう思い当たる節がいくつかあるなと気付きながら、あまり熱くない麺をすする。

仕事で、人の命に関わる講義を聞いた。講義を受けた人の中には、目を赤らませて聞いている人もいれば、それなりに大きないびきをかいている人もいた。

マイクを持って話している人は、生きるか死ぬかのどっちかを綱渡りした人たちの話をした。誰かの助けを借り、こちら側に戻ってこれた人もいれば、誰かの力不足で、あちら側に行ってしまった人たちの話をした。

ラーメンを食べられることに、今日は幸せを感じなかった。

券売機の前に仁王立ちしてメニューに悩み、つけ麺を選択するのことは幸せだと感じるべきだと、健全であるべきだといった規範が頭に浮かぶ。でも、生活の中で味わえる幸せの価値をわかるために、他人の不幸なり不慮なりを持ち出してくること自体、実に失礼な気がした。

 

つけ麺はおいしかったが、だんだんとつけ汁がぬるまった。割りスープが店内の一角にあらかじめ用意されていて、それを取りに行き適量を注いだら、熱くなった代わりに、一気に薄味になった。

山のことを考えた1週間だった。

思えば、11月中はずっと山のことを考えていた。誰かと一緒に、あるいは一人で山に行った。楽しいことばかりだった。山の上で起きたことは、楽しいことばかりだった。が、今日に限っては違った。山の上で死んでしまった人たちの話が考えの多くを占めた。

 

夏に行った谷川岳は、ガスった山の中が妙な空気に包まれていた。「事故が多発する山」だったのだと、改めて思い知らされた。山は楽しい場所であり、人の命を奪う場所にもなる。楽しいというのは、自分にとってなんだろうと考える。楽しかったなと振り返るのは大抵帰りの道中で、車内でそう独り言をいったり、助手席の人と「良かったですね〜」と言い合えた瞬間が、頭にすぐに浮かんだ。

「生きて帰ってきてほしい」。

講義の最後に、山に入る最終目標はこれだという声が響いた。

生きて帰ってくる。死んでしまうかもしれない。言葉遊びではなく実際にそうだから、ただ純粋に、生きて帰るのが目標になる。

それを頭でわかりながら、時にバイアスに侵されながら、装備を揃えて山に入るのだ。雪が降る前に、遠出しようかな。最後に熱々の割りスープだけを飲み、店を出た。