いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

麻布十番の飯屋

パッと入った麻布十番の飯屋は、沖縄料理を出す店だった。狭い店内に8テーブル。それぞれに椅子。座席に対して提供が間に合わなねえだろと思うのは、厨房含め、おばさんが2人だけだから。揚げたり焼いたりする音が同時に聞こえてくる。

隣の人のところに料理が運ばれてきた。お冷がまだだったようで、このタイミングで(たぶん10分は待ってそうな雰囲気なのに) 「お冷ください」。

常連と思しき人が、冷蔵庫から500ミリの炭酸水を2本、勝手に取っていく。「つけといてください」。間に合ってない。カウンターにある提供前の味噌汁から上がる湯気の勢い。冷めるじゃん。

おばさんの1人は白い筆文字で「海人」と背中に書かれたTシャツで動き回る。また客が入ってきた。

ビジネスについて語るサラリーマンが焼き物の音に重なる。しなびた白いシャツ。禿げ頭がたたえる照明の反射。一線を引いてるはずの生き物のように映る。

 

速い街の動き。以前に通っていた神保町と麻布十番は早さが違う。タバコの匂いは路地裏にしかない麻布の街並みと、タバコの匂いしかしなかった神保町のビアバーとみたいな比較をパッと思いつくけども、あの頃と今では「わたし」が違う。

社会人に成り立て、うっかり「好き」を仕事にしてしまったがために挫かれた精神をすずらん通りに流して東に帰っていった。限りないしみったれを本を読むことで忘れた。フォーマット的な生き方に焦がれ、編集者が出す本に憧れた。若かった。

たぶん、今でもこの類のしみったれは覚えているから、神保町が好きなのだ。いい思い出が無いから当面行きたく無い場所もあるのだから、結果的にナイスなことだ。

もずくのかき揚げはねちねちしていたし、沖縄そばはしょっぱかった。おまけに予約席に入ってきたのは港区の旦那さま、奥さま方々でけたたましく、私は急いでかっくらい、家を目指して地下に潜り歩いた。