いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

ラーメン

駅前のひなびた商店街の一角で見上げた空に、真っ赤に染まった積乱雲が立ち込めていた。音はしないが稲妻が見える。もうじき雨だと分かる。

確か、ラーメン屋で夕飯を食べていたその帰りだった。そこそこ評価のある店を探した。立体駐車場に停めていた車に戻る途中に、その雲はあった。その夜はどこで夜を越したのだったかあやふやなのに、その光景だけ覚えている。

 

10年ほど前からはてなブログをやっている。

浪人の頃、その日の勉強の成果を記録するために始めた。大学生になってこのサービスを開発した当時の社長と会う機会があり、はてなブログに移行した。

書き始めてすぐの話題は、読んでいた本か、人間関係、誰かを罵倒するかしないかの瀬戸際みたいな文句だった。サークルに行く前の授業の合間なり、休日の夕暮れなりにそれを書いた。

あれから10年以上経つのは、一定の感慨がある。当時、心に引きこもるように過ごしていたが、社会人になってそれが許される範囲が狭まり、就職後まもなく、左脇に帯状疱疹が出た。

 

10年が経った今、今度は住まいのある練馬のラーメン屋で、私は塩ラーメンを待っている。

自ら自分のことをつらつらと書こうと思わなくなったし、当時、勝手に読者に想定していた人への捉え方も変わった。

ひとりの人であることと、恋愛と結婚(果ては出産)の規範の強さとを肌で感じながら、どちらにもコミットせず、保証されない関係を営む。無垢な心地よさと、社会に踏み込めないバツの悪さとを同じ体に流し込んでいる。

朝晴れていた練馬は昼前、雲に覆われた。西側には晴れ空が望める。

水と油、ノイズの少なさと多さが織りなす線的ではない境界に生きるとは、10年前には考えもしなかった。40歳が見えるようになった時、私は何を見上げてラーメンを食ってるのか。さて、そろそろ今の一杯が届く。