いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

地元の風景

地元が変わっていく。あの家に住んでいる女の子は、もうとっくに結婚したらしい。子どもがいて、週末だけ帰ってくるんだって。

中高生のころによく行っていたガストは取り壊され、更地になっていた。大学生になった後も、中学の友人たちとご飯を食べた。家族でスキーに行った帰りにもよく行った。

中学の通学路にある橋が、架け変わるらしい。生まれたころからある橋だった。カーブが急で、車で通るには注意しなくちゃならない橋だった。工事はいつからなんだろう。路肩の案内板をよく見ておけば良かった。

いつからか、故郷を「安心して帰られる場所」として見ていたが、どうやらそう甘くはないらしい。

日常ですり減った部分をそのままにしておいて、帰省でもしたときに埋め合わせるみたいな関わり方は、もうそろそろ賞味期限が切れそうだ。帰るたびに、牛舎に入る牛の数が減っている。

田舎に夢を見出すのはいいし、メディアもそうまとめなければ、地方自治体のPR費を財布に呼び込めない。自治体は「若者」を欲しながら、地元は若者を煙たがる。その点、都会はいいかもしれない。理不尽は局所的だからだ。

地方に移り住んだ後、その後の生活をどうするのか。空き家を買ったあなたは、死んだ後その空き家をどうするつもりなのか。「それをこれから考える」と言われたら「そうですか」としか言えないけれど、少なくとも空き家を売った自治体や不動産会社は、そこまで気にはしてくれないはずだ。

故郷はこの後、どうなるかわからない。社会に出て数年ぐらいまでは、傾く体をや心を預けられていたけれど、実は自分に寄りかかってくるような存在になっていることに、ようやく気がつき始めている。

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