いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

山形への旅/DAY.2「羽黒山」

 

出羽三山神社に続く道。

旅館の夕食から戻ってきた。料金はカード決済していたから、出るときでなくてもいいはず。明日朝、出発前にもう一度確認しよう。

2日目。羽黒山に登った。出羽三山神社が山頂に鎮座していて、ここに来れば、月山と湯殿山にいかずとも、山の神に頭を下げることができる。とはいえ、そういうお得感とは無縁の旅を敢行しているのだからして、しっかり頭を下げにいく。

朝の森。天気が心配されたが、この後はほぼ快晴だった。

風呂に入り、白を基調に選んだ服に身を通した。朝日町から山道をくぐりぬけて、月山湖へ抜ける。

東北地方は未明にかけて大雨、大気の状態が不安定らしかったのだが、予報が嘘のように晴れ渡った。山道。車内の気温計は25度ほどで、運転席と助手席の窓を全開にして、風を通す。夏の空だった。

庄内平野は田植えが終わり、あたり一面グリーンカーペットと化していた

田んぼ道をかけていく。月山から山道を降る。渓谷の上に架けられた橋がいくつもあり、高度感のある道は、かつて冬の入り前に通ったことがある。雪がちらつき、風によってホワイトアウト寸前、とても怖かったのを覚えている。もう5年ほど前の話になる。

 

庄内あさひのICを降り、一般道になる。見慣れた田んぼ道でも、「あの先は海なのだ」という感慨には親しみがない。山に囲まれていながら、平野の先には日本海が待っているのは新鮮だ。

田んぼ道が広がる景色に安堵する。ただ、これが地元ではいけないのは、良くも悪くも記憶が付随するからだ。

小学校だの中学校だのの同級生が住んでいる場所は、見知らぬ土地への旅行者となるのを許さない。地元の温泉に友を案内するのは勝手出るけれど、だからといって、自ら予約を入れるのかというと、躊躇ってしまう。

羽黒山への入り口、随神門。

これまでの山行で嫌というほど杉林を通ってきたけれど、ここのそれは別格だった。

どれもが意志のある一本に思え、厳かな雰囲気は霊山である以上に、やたら大きな杉が堂々とあることに寄るのだろう。

石畳は所々が濡れていて、足を滑らせないよう一歩ずつしっかり踏み締めるようにした。木々の揺れる音や、どこかで鳴いている鳥が環境の多くを占めた。通り雨がやってきては去った。

日差しが差すこともあった。雨で濡れた森は艶やかできれいだった。

どうにもこうにも、人生に山が近い。

地元は山の麓。登山を始める前も、旅行に行くとなれば山道を歩いた。なぜなら温泉が湧出するのが山だから。湯に浸かり、誰かが手間暇かけて作った料理を食べ、地元の酒を飲むのを、たとえば紅葉のシーズンとかにやっていた。

登山を始めてからは、山に登ることがメーンになったとはいえ、楽しみ方はあまり変わっていないような気がする。「特定の環境に、誰かと身を浸すこと」。

 

ただ、以前は苦しいことから逃げたい時に、温泉に足を運んでいたような気がする。

もちろん、絶対的に楽しい時間ではある。けれど、日常にある苦しさやしんどさからは、目を背けることができる相対的な楽は必ずついて回った。

杉の巨木に包まれる森。

環境に身を浸すことで、何かが開かれるようにしたいが、それが苦しみやしんどさであっても、たぶんに構わないのだろうと思った。環境の美しさや刹那に心を動かされるのも、何事かに頭を悩ますのも、環境に浸りながらやってもいい。堂々と生える杉に、気持ちも大きくなる。

一緒に山に入ってくれる人は、どんなものを抱えているのだろう。気落ちしたり、何かうまくいかないことがあった時、私に何かを示してくれていたことがあったのだろうか。

だとすれば、私は何もしてやれなかったのではないか。励ましたり、何か気の利いた言葉をかけてあげたり。出来うる範囲で重たいものを軽くしたり、重みを分けてもらうこともできたはずだ。それに気がつけていただろうか。

見えるものしか見ようとしてこなかったのなら、大事な人であるはずなのに、まだまだ人間が甘い。

家族連れを追い抜いた。お父さんは荷物を持たず、お母さんが飲み物だのを持っていた。

三座分に賽銭箱があり、数円を投げ入れた。

山頂。かいた汗を落ち着かせるように、しばらくゆっくり歩く。賽銭を投げ入れて、月山・湯殿山の両座には明日以降の安全を祈った。

石畳を登らずとも、山頂付近までは車でアクセスできるようになっていて、家族連れや団体客で賑わっていた。1時間ほど、末社を含めて見て回る。

鏡池から見る拝殿

人々がお金を投げ入れては、手を合わせていく。人が祈りを捧げている姿は凛としていて、誰もがきれいに見える。

願いが、たとえ呪いのような自分にも跳ね返りかねないものであるにせよ、身を挺して何事かを成し遂げたい思いの強さに、打たれる部分がある。行いにうつさず、言って済ませられたら、それでよいという場合だってあるはずだから。

お世話になる宿

大正時代からの作りという多聞館に泊まる。精進料理をたらふく食べた。夕立が来て、そのまま日が落ちた。

歩いたせいか、とても眠たい。一人で過ごす時間に、宿の仲居さんやニの坂茶屋のおかみさんとの話が染み入った。誰でもない人たちとの、ほんの少しの関係。

館内は飴色。長く大切に営まれてきた空間は澄んでいていい。

一人で山に入るのが、久しぶりだった。明日は月山。登ると言っても8合目までは車でアクセスするから、山行自体は4時間程度の見込みだ。天気が持ちますように。書いているうちに、雨が止んだようだ。