いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

ぬか床のような人

5年前から、ぬか漬けを始めた。タッパーと、その中にすぐに漬けられるぬか床が入っている商品を買った。それ以降、水っぽくなれば水を抜き、糠を足し、時に干し椎茸だの鰹節だのを投げ入れていった。

ぬか床を手に入れた当時はあまりに安い給与で働いていたから、貯金もままならなかったし、何かを食べるにも、いろいろ限られた。ぬか床はそうした中で出会った、解決策のような存在だったのだ。当時は。

近所の安いスーパーで大根、きゅうり、にんじんだのを買い、適当な多きさに切って、放り込む。朝昼晩と、適当なおかずを一品作り、タッパーから適当に出して、切り分けて、豆皿に盛ればいい。

存在感があるわけでもないのに、あるとないのとではまるで違う。ツンと酸味が効いた味わいは白米の甘さを立たせてくれる。発酵食品だから、なんせ身体に良い。

忙しくて野菜を入れられ無い時は、塩と糠を被せて冷蔵庫に置いておく。すると発酵は緩やかになり、ぬか床は眠りにつく。

ぬか床は、生きていればすればいい。生野菜の新鮮さは別の、成熟した味が野菜に宿る。時間を経ないと、その中に入れていないと分からない味。かき混ぜないと、味が尖る。手がかかるやつだ。

 

今手元にあるのは二代目だ。初めて育てたぬか床は、仕事が切り替わったあとで忙しさのあまり捨ててしまった。

あとでそれをすごく後悔して、再び同じ商品を買ったのだった。バカなことをしたとの思いは今でもあって、それは今のやつを見放さない理由として生かされている。

 

いつしか、ぬか床は私の拠り所になった。

 

クセのあるヤツではある。香りも独特だ。嫌いな人もいるだろう。目立つわけでもないし、見た目が華やかでもない。たまにかき混ぜないと腐ってしまう。

だが、確かな芳香があるし、なにかを滋味深くしてしまうオリジナルな才能がある。身体と心に優しい。生活の側にある存在として、これ以上望むものは無い。これに相応しい暮らしを営むことを、なんの躊躇なく選択できる。

 

好きになっていく、存在の味わいを深めていく人は、私にとって詰まるところ、ぬか床のような人だ。

 

しばらく冷蔵庫で眠っていたぬか床を、最近復活させた。この話を書いたのは、その意義を感じているからだ。また私が落ち込んだ時のために。あの時はこうしてなんとか立ち直る気力を得た備忘のために。それと結局は、私はぬか床のような人が好きなのだということを、心に留めておくために。見誤るな、私よ。どうか、見誤るな。