いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

再び、アボカドトースト

馴染みのパン屋で、カンパーニュを見つけた。

なんていうのか忘れたけれど、あの、木の葉みたいな模様があしらわれた大ぶりのカンパ。550円。持ち上げた軽さから、ぎっしり詰まっている感じはしなかっけれど、家からの散歩にちょうど良いここにカンパーニュがあるのは嬉しい。今日は、アボカドトーストを作ろう。

 

アボカドトーストは、私が自分を再起動させたい時に作るものだ。アボカドはマッシュせず、半分に切り分けたものを縦にして1センチより厚いかなぐらいの感覚で切り分ける。カンパも2センチぐらいに切り、軽くトーストしたらば、オリーブオイルをスプーン一杯分ぐらい塗り広げ、アボカドを並べて塩と胡椒、レモンの皮をすりおろしたのを適量かけ回して終わり。

アボカドをマッシュしないのは、ザクっとしたパンと、アボカドのねっとりとした歯ごたえを、味わいながら混ぜていくから。レモンの香りに交わるビターな胡椒、野生味あるオリーブオイルが、何かを取っ払ってくれる感じがする。2切れ分を作り、食べた。

 

何にしてもやる気が起きない1日だった。久しぶりに立ち寄った朝ごはん屋さんは、すでに物が売り切れ、閉店間際。胡麻豆乳をテイクアウトした。場所は五反田。

これは、家から遠い。日々の再起動をとかけ込むにには、既に参ってる自分には、はるばる訪れる場所になってしまっている。

 

と、ここまで書いて深呼吸した。

 

再起動というのは、あまりに私がパソコンみたいじゃないか。私はパソコンなのだろうか。そんなにスパスパ物事を動かせている存在でもないし、スリープ、起動もぱっぱといかない。比喩があてがわられる先があれか、パソコンか。違ったなと思ったわけだ。

 

アボカドトーストは再起の食べ物ではない。ただの、ちょっとした食べ物だ。私よ、参ったからといって機械になってどうこうしようとしてはいけないぞ。アボカドトーストは、外付けハードディスクでも、新しいメモリでも、ゴミ箱を空にするのでもない。ただの、おいしい食べ物である。

 

今日、とても疲れたのだと思う。言語の違いをたくさん思い知り、また学びの浅さも思い知り。ああ、私にわかるのはこのとてつもない遠さだけだ。この先も、たぶん、歩みは遅いだろうなあ。圧倒的な成長!も、事業拡大!も、今は空語みたいに響かない。

 

明日、この言葉は私に響き返すようになっているだろうか。アボカドトーストが、そりゃ再起動の縁担ぎになれば言うことはないが、そうでなくても別に構わない。結果として、別にあの時なんでも無かったですと言える未来を望もう。

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