いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

さもありなん:私的2023年振り返り 2/2

2023年を振り返る。

こういう時に書くものは、大抵雑になる。悲しかったことを書けば、そのほかにたくさんあった喜びが曇る。そういうものだから、これから書くことは全てではないし、書かれなかったことがそのまま私にとって重要でなかったことにはならない。

Sunset

7月、長野。

まったく余裕のない状態を私自身を呪っていた。これが自分の限度なのだと自覚できればいいのだが、仕事もいっぱいいっぱい、生活も同様だった。山に行けば天候が悪く撤退。それも一助にすれば良いのに、私は当時、そうもいかなかった。声を荒げ、それでいて怯えていたの。たくさん、雨が降った。

 

薬師小屋の先で、炭酸飲料を一気に飲み干した。水分が足りなかった。別の場所では、おじさんパーティが宴会を催していた。俺はいつあの山に登った、いやいや俺なんか、この山になというマウンティングが跋扈していた。気色悪かったが、山は綺麗だった。

風は抜けていくのだが、余裕のなさはまだ居座っていた。ずっといる。東京に来てからなのから、それよりも前からなのか、ずっといた。

翌朝、北岳のモルゲンを眺めた。何かが出そうな森の中を抜けて、白根三山を眺められる山の頂上に移動した。お湯を沸かして、写真を何枚も撮った。

 

8月、針ノ木岳の山頂。

スバリ岳を眺めた。遠くに白馬岳、近くには立山が見える。山の日はよく晴れた。祝福されているような天気だった。

前日、あらかた仕事を終えて、急いで車に飛び乗り、さっさと高速に乗った。扇沢の駐車場で眠り、そのまま山に登った。山小屋へたくさんヘリが飛んでいた。ハイシーズンが始まっている。針木小屋も予約でいっぱい。

蓮華岳の道中で、雷鳥の親子に遭遇した。山頂まではガスに包まれて、さながら天国への道中のようだった。白い山道と、ハイマツの深い緑。雷鳥の親子はここにいた。ほかの登山者が気づいて寄ってきて、彼らはすっといなくなった。

スバリ岳のモルゲンは相当綺麗だったけれど、一部のカメラマンの無作法さに興が乗り切らない。奴ら、自分の場所のためなら、どこであろうと三脚を立てるのだ。立山の方が日差しを受けて明るくなる。立山、剱は来シーズンになるかもしれない。ザクザクと歩く。剱は本当に見事な姿をしていた。

 

9月、東川町の田んぼに立つ店の中。

おかゆを食べている。かぼちゃが入っている。腐乳というのは実に美味しいのだな。ドロドロに煮込まれたおかゆと、わずかにすくったそれとを一緒に食べるとおいしい。

旭岳に登った翌日だった。黒岳に続く23kmの道のりを歩きききり、よくわからないホステルで眠った。翌日の風の柔らかさは、その後今までの救いになっている。

レンタカーを借りて北海道を走ったのは初めてだった。中島みゆきの歌で、過去から今までを洗い直す。このドライブに出る少し前に、ナイトキャップスペシャルを初めて知った。特別製の寝酒になってあげる、女友達の歌。

旭岳の紅葉を眺めて、歩く喜びを噛み締めた。来シーズンは小屋泊ができるかな。トムラウシに登りたい。

 

10月、巻機山山頂を過ぎた山道の脇。

私はしばし眠った。秋晴れの心地よい日だった。

山の上でコーヒーを飲むかと車を走らせ、朝6時半ごろに登山口に着いたが、駐車場はほぼ満車。登山を初めて3年弱となり、選び抜かれた装備はシンプルなベストタイプのもの。救急キッドやコーヒーなどをがさっと入れ、登山道をかけていく。

金銭的にも仕事量的にも、昨年の方がずっと余裕があった。登山をするしない以前に、生活全般の余裕のなさをが常に体を纏っているような気がして、それを払拭するために山に行こうにも、なんだか気乗りしないというのが続いた。

今年は新潟方面に縁があるようで、谷川岳を過ぎて長いトンネルに入るのは3回目だった。山に行く時に一緒の人と誰もいないのとで違う山行のありようを思う。

巻機山の上からは、越後山脈がよく見えた。谷川岳を南に、八海山だの越後駒ヶ岳だのは北に見える。紅葉が盛りで、草紅葉の絨毯がずっと遠くまで敷かれていた。

山の上で、飲むコーヒーはおいしい。針木小屋以来だった、こうして山の上で休むのは。何を考えていたのだろう、当時。荒々しい越後の山並みが映像として記憶にある。雨風雪によって削られた山並みのずっと手前で、目の前のブタクサが揺れていた。

 

11月、万座温泉

白濁した源泉に浸かりながら、この後のことを考えた。3日続く旅行の初日。湯船近くの小窓から外の冷たい空気が入り、湯煙がもうもうと立ち込める。木造の浴場は湯気で満ち、暮れていく外からの光を取り込んでいる。湯に浸かる男どもは、言葉少なだった。

草津にも行き、なんとその後は山梨に移動した。長いドライブは好きだ。暮れていく景色の中を共に過ごすのが心地よい人(どんなだ)を、隣に乗せていた。何の緊張もせず、その人の存在で仕事の気配も遠くに押しやって、3日を過ごした。道中で味わったものも素晴らしかった。瞬間のきめ細かさ、状況の幸福度が、現実から私を浮遊させた。非日常であることを悔やみさえした。こうした現実が、日常となるためには、私は何をすべきなのだろうか。

 

12月、豊島園のスターバックス

店の角の席に座り、パソコンを広げて一連の文章を書いた。

最初に思い浮かんだのは、前職の仕事場だった。宿直明けなどの朝、冷たい空気を社内に入れるのが好きだった。朝刊をおのおのチェックして、テーブルに並べる。早番のデスクが来れば、晩中に起きたことを報告して、その日は休みになる。

あれからまもなく1年が過ぎようとしている。この間、しっかりと3日以上休んだ記憶がない。よく働いている。休まなすぎだと言わんばかりに、ここ半年は2ヶ月に一度のペースで風邪を引いた。来年の抱負は、ちゃんと休むことだだ。

冬の日、本当は山梨にでもホテルを取って、そっちで振り返りをしようと思っていたが、午後になって車に乗る気力が湧いてこなくなり、断念した。最低限の荷物をまとめ、でもちゃんと日焼け止めは塗って、外に出る。冷気が染みる。すっかり冬になった。

ワーナーブラザーズのハリーポッターのスタジオができたから、豊島園の週末は賑やかになった。それでも場所が広いし、そのスタジオツアーは予約制とあって人混みというほどでもない。家から歩いて15分。今日も大して変わらなかった。

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目まぐるしい1年だったが、ようやくその波もおさまろうとしている。クリスマスなんていいから、早く年末の休みになればいいのに。人へ連絡を返しながら、そう思った。

映画館に訪れ、『屋根裏のラジャー』のチケットを買った。イマジナリーフレンドの話。なんとなく、今にフィットする言葉な気がしたのだ。空想の人、想像上の関係性から、次に進みたい。2024年はどういう年になるのだろう。