いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

仙ノ倉山にて

寒さでよく眠れなかった体を、暖かいミルクティーで起こしていく。朝4時半、越後湯沢の駐車場。西側の山並みから少し顔を出している雪面にむかって背筋をうんと伸ばす。

仙ノ倉山に登りにきた。日本二百名山で、お隣の谷川岳に比べれば知名度などは劣るだろうが、広いなだらかな稜線を縦にぶち抜いたおおらかな山容が特徴で、来てみたかった。

登山口にある駐車場は空いていてトイレもある。平標山を経由しての約14kmのルート。午前6時少し前に出発した。

平標山の手前にある松手山までは、1kmで約500mのハイクアップを強いられるルートで体力を求められた。背後の苗場山を振り返りながら、稜線まで出る。

平標山に向かうまでの稜線。この日は風もそこそこだった。

笹道がカサカサと揺れる音だけが鳴る。撫でるような風が時折吹いた。地面はふわっと軽い。窪んだ箇所は山がたくわえる水分がにじんでぬかるんでいた。

日差しが強くなる。ポケットに入れていた行動食をつまみながら(今回はつぶグミとカリカリ梅)、こまめに水を飲みながら進んだ。

 

耳元が寂しくなると、音楽を聴くようにしている。こうした転落の危険の少ない道ではなおさらで、イヤホンをつけて、ダウンロード済みの楽曲を流す。

登山に行く時に聞く曲がいくつかあり、今回はスピッツの「見っけ」だった。同名アルバムのタイトルチューンで、パワーコードをシンプルに鳴らすギターとキラキラしたシンセがイントロを彩ったかと思えば、草野さんは意外に低いところから歌い出す。

 

「再開へ!消えそうな道をたどりたい。すぐに準備しよう」

 

このフレーズで私は山と出会い直している気になる。消え入りそうではなくとも、時間を作り、運転をして出会う景色に会い直していく時間を、この歌が肯定してくれる気になるのだ。

お目当ての稜線はそこにあった。緩やかな山並みを行く。

仙ノ倉山の稜線は泰然としてあり、いくらかの人間を受け入れているように見えた。

谷川連邦の一部をなし、奥に続いていくのが谷川岳だ。まだ色付いていない笹の葉が草紅葉しているようだが、秋は感じさせなかった。土から蒸し返す暑さと、空に消えていくように溶ける雪が、どうにも春だった。

 

「見っけ」の中にある印象的な歌詞のもう一つに「人間になんないで繰り返す物語。ついに場外へ」がある。大きな弧を描いているようにも見える台地を縦に切り抜け、私は人間になる物語へと舵を切っていくのだ。天を仰ぐ。風が軽い。

 

ひとしきりアルバムを聴いた後、音楽を止めて歩く。靴が地面を踏み締める音、遠くから聞こえてくる登山者の熊鈴の音が不規則に耳に入ってくる。目の前には山しかない。

腹も空かないで、時間も経たないで、あと3時間ぐらいこのままであって欲しかった。いずれは降りなくてはならない山登りの限定に抗いたくなる。そのくせ奥には行きたいので、足は止めない。時折シャッターを切って足を休ませる。

仙ノ倉山からは谷川岳の方面が覗ける。雪解けの季節。

仙ノ倉山を少し超え、エビス大黒の頭まで行くことにし、笹原の間を抜けていく。谷川連邦が視界を占領した。1月に登った山行を懐かしみ、当時を悔やんだ。

 

余裕がなかった。その月に全ての面接を控えていたし、年開けで当時の仕事もバタついていた。憔悴していた。

谷川岳は一緒に登った人がいたが、私の言動は肌理が荒かっただろうと思う。登山自体も焦っていたはずだった。

雪に覆われた山並みが溶けて地肌を露出しているのを眺め、そうした言動を悔いた。雪は溶けて天に帰っていくようだった。一方で、麓は緑が濃い。春は足元からやってくるのだと知らされる。

私にとっても「足元」が固められ、不慣れながらも1月とは異なる状況に落ち着いているのに感謝した。再び、地面からの熱気を感じる。道の途中にある残雪が溶かされ、近くに流れを作っていた。

エビス大黒の頭を振り返る

エビス大黒の頭を過ぎた後、万太郎山を眺める道のあぜに腰掛けて、音楽を聴く。cadodeさんの「社会卒業式」を流した。

姉のコムアイとのデュエット曲で、SEに虫や鳥の声が入りながら、どこか宗教的な進行をする曲。歌詞も不規則なのだが、昨年の山形への旅以来、私の隣にずっとある曲になった。「重力の畝」。激しく畝る山並みを遠く見つめる。

 

「夕暮れには二度と出会えない。知り過ぎたことを悔めば元の木阿弥」。

ボーカルのkoshiさんの声は、押し付けがましくない。環境から聞こえてくる音のようにすんなりと、知り過ぎたことを悔やむなと言う。言うだけだ。諭さない。

恋人だろうが、友人だろうが、人と付き合うことにより分かる人間のノイズ。表情の強張りや我儘を、後悔してもしなくてもいいが、悔めば元の木阿弥なのだ。

私はそれを知った上で、人を愛していく方でありたいと思う。そういう強さには焦がれる。毎年の雪によりえぐれていく山肌が太陽を跳ね返し、陰影を作っている。これが美しいと思う。

 

傘を立てて昼寝をしたりしてるうちに、時間が過ぎた。急ぐ必要はないのだが、降りていくことにした。履いてきた靴が久しぶりに履いたものだったから、親指に痛みを感じる。

平標山の家で少し水をもらい、階段を下って降りていく。標高を下げるほど、木々の芽吹きが進んでいく。山にいる間は季節が少し戻ったようだったから、時間がチューニングされていく。鳥の声も賑やかになり、沢の音が聞こえ始めた。

歩行距離17km、獲得標高1758m。久しぶりにたっぷり歩いた旅だった。疲れがたまる予想をし、次の日は長野に抜ける方をやめ、赤城山に計画を練り直して、ひとまず猿ヶ京にある道の駅に立ち寄った。

 

誰かを連れてくればよかったか。そう思えるまでに回復した自分を褒めた。夕暮れ時、穏やかそうな仙ノ倉山が遠くに霞んでいた。私自身が、戻ってきた感覚が宿っていた。これがうれしかったのだ。