いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

私のいいところ

元気なフリをしている人が苦手だ。

あ、この人取り繕ってる。さっきまで仏頂面をしながら仕事してたの知ってるぞ。人と話すときに空元気になるタイプの人。どうしていいかわからんから、とりあえず笑っとく。表の私に笑わせておく。

 

気を遣ってくれてありがとうなのだろうけど。そのまま仏頂面でいてくれたらいいのに。それがあなたの今のベストでしょ。取り繕いにより隠さなくていいじゃないか。いつもよそ行きの顔をしていなくていいのにな。

ブーブーとコピー機がうなる。お昼に厚切りシャケ弁当(これがマジでうまい)を食べてから今まで、ピルクルしか飲んでない。取り繕いに対する体力なんざ残ってない。帰って何食べっかな。

 

なんであんなに元気で陽気なフリをしているんだろう。恥じらいや遠慮はろ過されていて、この人から脱色されてるみたいだ。こういう時ほど、元気でいないことが罪のように感じる。

ある集まりの打ち合わせで、仕事の忙しかった私は言った「大して貢献できないかもしれませんが、できる限り、がんばります」。その後で、「雰囲気悪かったと指摘がありました」とメールが来た。なんというか、悪手だなと思った。

その悪手の人が、元気なのだった。元気そうなのだった。「例のあれ、よろしくねッ!」なのだった。

 

疲れながら、悪態をつきながら生きているのを許し合える人が、私の伴侶となるのだろうな。悪態を、黒くなってしまった冗談を問題発言だと糾弾せずに。問題発言している人を許してくれ。業だから、それは。

元気なフリをしないし、正しいフリもしない。する時には慎重にする。表の私がうまくやる。裏の私は世界一デカいため息を吐く。それが問題だとは思わない。思う人は勝手にすればいいし、私の人生にわざわざ近寄らないでほしい。私は時に、黙っていられない人なのだから。大事なことだから、同じようなことを2度書いた。

 

生き方を別つ人がいるのだと知る。関係の暗がりに駆け込むのは、そこが暖かいからだと知る。どん底を知ってはいないが、そこにいるだろう人たちの暖かさを肌に宿す。私はそういう人なのだ。ピルクルが沁みる。夜のスーパーのショーケースの明かりが照らした半額の乳酸菌よ、私の体を満たせ。