昔から、他人を楽しませようとして、話を少しだけ盛る癖がある。そのままを伝えるのが苦手だ。特に、自分自身について。
小学生のころ。給食の配膳に並んでいる時に、話をした。親と出かけた先で起きた出来事にあることないことを付け足して、笑える話にした。
自分より背が大きくてエンタメが好きだった女の子がいて、いつもその人が笑ってくれたのが気持ち良かったのだ。
心の方では、チクリと音がした。時に織り交ぜられる嘘に、ちゃんと気がついていたからだ。
年齢が長じるに連れて、こうした技術は長けた。実際におもしろい場面に出くわすことは増えたし、ネタとして話をすることも増えた。目の前の人が笑っている。それが嬉しかった。
いつしか、その笑いが無い場面を私はひどく嫌がるようになった。相変わらず小さな嘘や「盛り」が混ぜられ続けていたし、その度に、心は音を立てた。
立て直すのは、決まってひとりの時だ。誰も目の前にいない時、話をする必要がない時に、出来事は語りに連れて行かれることなく、私の中で休まることができている。
ズーム会議で、相手を笑わそうとしてしまった。主催者が遅刻してきて、私は少なからずむしゃくしゃしていた。それを掻き消すように、語りが過剰になるのを感じた。
ジョークや、ぶっちゃけ。打ち合わせとあって嘘や盛りは加えなかったが、語りの過剰さに自家中毒になりかけた。相手は笑っていた。私も笑っていた。
でも会議後、どっと疲れた。私は何を話したのだろう。なぜ、こんなにも疲れているのだろう。
むしゃくしゃしていた。会議が始まる前の感覚を無視していた。私は怒っていたのだった。
笑いの効果はすさまじい。それで幸福になるとも言われるし、相手と私が笑い合っている姿には、何の問題もないように見える。
けれども人には
笑顔のままで
泣いてる時もある
中島みゆきは「命の別名」でこう歌った。笑顔は私の最大最善の取り繕いだ。
繰り返すあやまちを
照らす灯をかざせ
認めなくてはならないのは、私のこうした取り繕いは一側面では、あやまち、だったのだ。誰に対してではない、名前のついた心への。それをあたためる灯をかざせ。少し先だけを照らす、大きくはなく、小さくもない灯火。
おもしろくあろうとした小学生の私よ、本当によく頑張った。学級という社会で私が学んだのは、振る舞いだったのだ。
自分を少し傷つけても良いからと、編み出したのが笑いだった。嘘であり「盛り」だった。年端のいかぬ男の子がやってしまっても仕方ない。人生まだ十数年だ。本当によくやった。
でも、もうそうでなくて良い。私は笑いの他に多くの事柄を手に入れた。成熟した。
おもしろさや、笑わせることを強いなくて良い。つまらない時には、つまらなそうな顔をしながら、美味しいもののことでも考えていれば良いのだ。
かのように、私の心はいささか歪んでいる。ネガティブな発言に耐性もない。笑いでかわして来たからだ。純粋な部分に傷をつけながら守ってきたからだ。
傷をつけてしまったら、その傷を照らす灯火を絶やさないように生きていきたい。その暖で誰かが少し温まれれば、それで良いのだ。