いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

悔しさ

双六山荘に向かうまでの朝焼け

悔しさが生活の半分以上を占めている。新しい仕事。面白みを手繰り寄せれば、手元ではまだ砂のようで、確たるものを実感できない。

飲み込んで糧とするほかなくても、その状況に耐えるのにも苦労がいる。これを「ネガティブ・ケイパビリティ」と言ったのだっけ。それと検索してでてきたVOGUE JAPANの記事を読む。不安についての対処。待つことの意義性。

 

双六小屋に向かっている時、私には悔しさという感情は存在しなかった。

月明かりで十分に明るかった午前4時。寝袋を畳み、昨晩沸かしておいた湯をボトルから出して少し飲み、装備を仕舞う。ハイマツが地面にコントラストを作るほどの明るさで星はまるで見えない。三俣山荘のトイレで用を足し、最終日の道のりを歩み始めた。

月明かりが映す世界は彩を遠くに追いやり、吸い込まれるような闇と、いくばくか白みを取り戻した墨色で構成されていた。足元が平たくなるまで登り返すと、ヘッドライトを消して歩いた。墨色の世界で、荷物を運ぶ人間の足音だけが響く。

奥行きを感じにくい限りなく黒い世界だった。わずかにある陰影の中を進むと、ようやくここが空間なのだとわかった。東、槍ヶ岳の方の空が赤黒く燃え始めると、知覚が戻りつつあった。暗い瞬間はこの少し手前にあり、白み始めた空を見た直後の足元の草木は、目が追いつかないためにより黒々とし、吹き始めた風に揺れた。

私は世界を味わっていた。情景ばかりがあり、私はそれを観察し受容するばかりだった。世間で感じる悔しさはなかった。

 

その三俣山荘についこの間、何者かが侵入して荒らした時には本当に腹を立てた。誰に向けたら良いのかわからない怒りは自分自身を焼いた。

つい先日、原宿を歩いていた時のことだ。ふくらはぎに「悪道」と刺青を施した男が、目の前で傘を捨てた。駅前の歩道で人が多かったのだが、我関せず、街路樹の幹めがけて投げ捨てた。腕を組んでいた女も素知らぬ顔をしていた。実に醜い人たちだと思った。

 

明確な悪意が世界に持ち込まれている時に、私は何をしたらいいのか分からなくて悔しい。

人でなしのような行為を、どのようにしたら良いのか。彼らが生まれ変わらずに、魂ごと消滅してしまえばいいのにと祈るばかりで、あまりに手持ち無沙汰だ。やり場のない怒りや悔しさが生成されているのを感じる。

 

時間が解消してくれるなどと、昨年の5月も同じようなことを考えていた。29歳までに20代のツケを払うのだと意気込んでいた故の苦しみだったが、30を過ぎた初めての5月も、別の感情で、つまりは悔しさによって身を焦がすことになろうとは。当時、それを知らなくて本当によかった。

 

墨色のような感情が渦巻く。あの時のように、月明かりの下を歩くことを享受しながら、遅い歩みを進めていけば、いつかはまた彩りが帰ってくるのだと信じたい。いや、この墨色の世界こそを、味わうべきなのだろうか。当時のように、悔しさを持ち込まずに、そのままを。

山を歩く行為が豊だと言う文章は、いくらあっても良い、私を助ける言葉になってくれる。自身の中に歩みに関するアナロジーが身体化されていることに、登山そのものに、感謝しなくてはならない。