いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

登山しはじまったけど

f:id:loyalbravetrue:20210822121648j:plain

1月。初詣のついでにと、自宅にあった動きやすい服装をして、筑波山に登ってから約半年が過ぎた。

ペースもクソも気にかけずに登ったら、あまりにしんどくて「こんなの趣味にするやつ変態か何かだわ」と悪態が止まらなかった初登山から、約半年。今度は「8月の週末、どうしてこんなに天気悪いんよ。キモ」と悪態をついている。

当時揃えた装備は一線を退いたり真っ二つになったりし、次の山行の度に何かしかを買い足したり工夫をしたりし、計画を立てている。本当なら、今日は日光経由で赤城山を登るわけでいた。けど昨晩、映画を観て夜更かしをしてしまったのと、今日の天気が曇りで、アルプスの方を見渡せないだろうなというので諦めた。

赤城山には2月だったかに、近くの荒山に行ったことがあって、それ以来となるはずだった。当時はせいぜい5時間の山行をしていたぐらい。最近は、MAMMUTのザックにソロテントを詰めて鼻息を荒くしている。

山に登り始めた当時は、人間関係が終わったショックから目の前が真っ暗になっており、人生的にも、目の保養的にも、見晴らしのよい状態を求めていた。

それから約半年。懸案だった人間関係は回復し、以前とはまた違った容態を示しており、純粋に山を楽しめるようになっている。ピッケルを使ったこともないし、ハイカーがこぞってインスタグラムしてしまうアルプスの稜線に引き込まれこちらも負けじとPhotoshopの鬼になったこともないが、大学案内読んで要らぬ心配をしている高校生みたいな心配をしてもあまり意味はないので、せっせと仕事をして休みを入れ、山の計画を立てている。

山に登るようになって変わったことはあると思うけど、あまりピンとこない。山に入っている最中は虫なりヘビなり、クマなりが棲んでいるわけで、夏を迎えてからの山行はすごくでかい他人の家に入っている感じに等しい。

マイナスイオン的なものを感じてはいるのかもしれないけど、生き物が満ちている夏山では、むしろ生命の危険アンテナみたいなのを高くしていかないとならない。

アルプスの表銀座だとまた違うんだろうけども、向かう山といえば、北関東か福島かという感じ。山に入るならみんな男体山を目指して満足してしまう中途半端な(山以外でも度々)県民性、素性が出ているのか知らんけど、関東バスとかはマジで直行便を作ってくれと今日も祈る。

アルプスはそんなわけで、現住所からアクセスがよろしくなく、どこを目指すにしても、ちょっとした旅行にならざるを得ない。ホテルを取るとか、車中泊をするとか、そういう行為を巻き込んだスケールのものになると、当然体力も食うわけで、帰ってきたあとのリカバリーも長く必要になる。不規則な時間の仕事をしているのも手伝ってなんとなしに気が遠くなるのだ。「え、公務員に転職でもする?絶対嫌なんですけど」と自己ツッコミで塚ができつつある。

そんなこんなで悪態をつきながらも、YAMAP!を開いて登山計画を立てるなどして、次の予定を決めている。早ければ月末にアルプスへ向かいたいけれど、人が多いんだろうな。一度、どこぞの百名山に行ったとき、30年ぶりの同窓会ぐらいのテンションで談笑している7人ぐらいでパーティを組んでるGGI&BBAの御一行様と狭い道ですれ違う必要があり、ため息が出たことがある。安全に楽しむためには、誰も行ってない山でもなく、人でひしめきあってる山でもない場所に行く必要があるけれど、「選ぶのからしてめんどくね」となる。

書いているとめんどくなるのだけど、平素はめんどいとは思っていないのだ。土を踏みしめたり、ルートを見ながら登っている感じを確かめている時は気持ちが高ぶるし、なんでそうなるかというと、この時間だけ、生きているのをペンディングしている感じがするからだと思う。ある人は「自分の輪郭がはっきりする」と言っていたけれど、これにも似ている。

毒も汚れもない楽園に住むことはできないけれど、汚過ぎて肺やられちゃう現世だけでも生きて行くことはできない。共存することはできないの?ってナウシカはいろいろやっていたわけなんだけど、山に行って帰ってくる行為を繰り返して、自分にとってのそういう道を探し始めたのかもしれない。というわけで、山に登りたいから天気さっさとなんとかなりなさい。来週はアルプスやで。