いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

にくらしさ

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カレーとホットサンド、ミネストローネの3つしかないメニューからしばし迷ってカレーを選ぶ。「いつもありがとうございます」。水を運んで来た人が、今日初めてそう言った。雨の日に来ることが多い。それも金曜に。

常連さんがチョコシフォンケーキと深煎りのコーヒーを頼んだらしく、ランチを食べた食器を下げた化粧っけの薄い女店主が、次にケーキを運んで来た。「久しぶりに人が作ったご飯食べましたよ」「(笑) がんばってんな」

 

ここ数ヶ月、ある状況をずっと憎らしいと思っている。

「あ、この人には何を言っても無駄なのだ」と、分かった時、その人に対して、あらゆる可能性を排して、一瞬で結論がつく。

息の通った柔らかいものであったはずのそれが、冷たい石に変わる。柔さの喪失と、冷たい石の存在に、ただ無表情になるほかなかった。その経験をしてしまったことが、たまらなく嫌で、憎らしい。

 

憎しみに支配されるとは、この感覚以外を考えなくなることかも知れない。

昨日、親しい友人の1人と「いいやつになりたいね」と話してた。すごく分かる気がした。好意のある対象と付き合えない、恋仲になれないと分かった人に対して、「では、いいやつでいろ」みたいな指南を受けたことがある。「いつか」の可能性に賭けろとでも言われたみたいだった。あるかどうかわからないもののために、いいやつで居続ける。

 

そう、居続けることに努めた時期もあった。「あ、今やってるわ」って時には、少なからず満たされる。可能性に近づいているからだ。

ただ、いいやつに「なれる時間」が過ぎれば、元の木阿弥、いいやつで居たのにどうして報われないのかと、心を痛めつけてしまうループにはまってしまった。優しさだと思っている振る舞いが後で仕返しに来るなら、それは優しさでは無い何かじゃないのか。

 

カレーを食べ終え、食後の紅茶が来た。アールグレイ

 

憎らしさが、渦巻いている。感情が濃い。薄まらない。それ以外のやるべきことの背後に、雨でドロドロになった山道の泥のようなものがある。

健全ではない。けど、頭の中にある人以外でも、健康であり続けることができた試しがない。全くこれで良い感覚を味わいながら、一方で、その終わりを予感する。永遠を求めているのだろうなと思う。子どもみたいに。

 

紅茶が緩くなっていく。

 

明日は、雨がおさまると良い。山形で、憎しみをおさめる場所をこさえられたら、少しは楽になるのかな。鎮める場所があれば、少しはましになるのかもしれないから。持て余すほどあるのだが。憎しみが底を尽きたら、どうなるんだろうか。