いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

玉川上水から初台に抜ける

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笹塚にてパンを買いて帰るは新宿への道。耳元には宇多田ヒカル。Play A Love Song。内省を促すアルバムのファーストソングを流しながら、舗装路をマルジェラで行く。

 

昼。心を十二分に満たしてくれるカレーを食べ、ピュアに真面目に作られたチャイに心を洗われた。途中、ひょうの降った幡ヶ谷で、私の「日曜日」は帰ってきた。

大気の状態が不安定な週末は、私が山に行くのを許容しなかった。実際、土曜日は雨が降り、朝まで続いた飲み会の残響を整理するのに時間を使ってしまった。結果、それでよかった。

 

帰り道。続く細道のどんつきが示す木々に向かう。玉川上水の旧水路が緑道になっているらしかった。芽吹き終えた木々に風が抜けていく。

一昨晩に新橋で歌われた丸の内サディスティックの原曲を摂取し、それを宇多田ヒカル小袋成彬のアレンジに流す。宇多田ヒカルの透明感が恋しくなり、Play A Love Songに辿り着く。

内省する私と、深読みをしてしまう君の話。軽いピアノを聴いた後で、ゴスペルのバックコーラスを予感する。悲しい話はもうたくさんなのに、悲しい話はずっと覚えているものだ。

昨年の4月に、その悲しい話の一つは起きた。今でも感覚に鮮明な四国への旅の後。いや、悲しい話はいくつも起きた。もうたくさんだった。

悲しい話(たち)は、時間をかけることでしか治ろうとしなかった。とはいえ、完治がそのものの忘却を意味するなら、悲しい話はまだ手元にある。遠くから音が聞こえてくるみたいに。

あまりに個人的なので、抽象度をぐいとあげて書くと、悲しみは「私を通り過ぎる人が居る」ことの当然だという事実だった。それを、当たり前に引き受けられなかった。

私と時間を過ごす一方で、別の誰かと先を行く。生きている時代が違う感覚に、文字通り絶望した。私がどれだけ生きても、相手も同じだけ遠ざかる。景色がカラフルになんかならず、音も鮮明でなくなった。そういうのが、もうたくさんだったのだ。

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しかし、だ。あれから、1年が経った。状況は当時と同じではない。

例えば、当時履いていた靴は一足も残っていない。古きよきヴィンテージになるにはやつれすぎた愛すべき物たちは、もうそばにはない。新しく迎えたマルジェラとの関係は良好だ。インナーソールは私の足裏の形を覚え、都内のあちこちに足跡をつけ直している。

緑道を抜け、オペラシティに着いた。山手通りを北に行く。山手通りのゆるやかな登り坂を歩いていく。ビル群の直線が、目線を空に向かわせる。雲はもう夏のそれだ。

 

西新宿に差し掛かる手前で、右手から血を流した高齢男性が、警察官から質問を受けていた。そのそばを、セリーヌの小さいカバンをかけた若い男性が通り抜ける。

あの出来事が私にとって無関係だったのなら、今の景色はどう見えるのだろうか。雨上がりの新宿のビルに映る景色や空気の淀みを、こうした邂逅へのきっかけにできているだろうか。

傷や辛い物事を抱える負担を当方が抱える時、希望を見出すとしたらなんなのか。仮にでも、この思い出が自分のものでは無かったとしたらと考えると、少しだけ怖くなった。だが一方で、このように考えられるようになった自分を少しだけ褒めた。傷を抱えた生きていた時間との距離を、私は形成しつつあるからだ。

何度も引き出して愛でるようなものではない悲しみの残響はまだ耳に届いているが、初夏になるまで息ができなかった春は2年目にしてようやく、下り坂を降り始めたのかもしれない。痛み「乗り越える」とはよく言ったものだ、それを向こう側から見上げることができた時に初めて、それを背にすることができるからだ。

北川の雲が雨を予感させる中で、西新宿5丁目の駅に潜る。宇多田ヒカルの歌は終わり、別の歌が流れた。