いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

山形への旅/DAY.1

ホテルから見た空。宮城では雨が大変だったようだ。

自然水を沸かした風呂に入り、撮った写真を現像した。新しくはないホテルはツインルーム。片方のベッドに荷物を置いている。ソファベッドもあるから、最大で3人まで入れる。そこそこ広い。東側に朝日連峰がのぞける。

大朝日岳の麓にあるホテルで一夜を過ごす。東北は一部地域で大雨となったようだが、行動中は雨にやられることはなかった。とはいえ湿度が高く、いつも以上に髪がうねった。

午前9時半過ぎ、予定時間を1時間オーバーして車を出す。まずは猪苗代を目指す。

猪苗代湖のICを通り抜けるのは何度目になるのだろう。

休日割引きで2650円。宇都宮ICをくぐり約1時間半ほど経った。ゆるい坂道を下り、左に折れると猪苗代湖が見える。

TARO CAFE から湖の方へ歩く。薄く雲がかかる空。近くで草刈りをする人。青臭い草の香りが夏だった。

テラス席に座って食べたのは確か、クレム・ブリュレだったっけ。クレマのようなクリームが乗ったコーヒーを飲み、向かいの人は別のものを頼んでいた。あの日もこんな感じの天気だった。「あっちはどうなってるんだろ」と思ったところに、今日は歩いてみた。

手にはアフォガードがある。CAFEで頼んだ。ソフトクリームの上に、エスプレッソをかけてもらう。9番の番号札を渡され、3分ぐらい待った。店の中にある洋服たちを見た。ここには無い資本力、経済力を持った人たちのためのもの。別のレイヤーがかかっている。草刈りをしている人は、こういう服を着ない。

すぐさま溶けていくのをそのままにさせる。かき混ぜて均一なベージュ色になった液体を飲み干し、別の時間を感じる。誰もいない。テラス席の前の自転車は、後輪がひしゃげてそのままになっていた。

いつから立てかけられているんだお前は。

米沢の方に抜けるのに、磐梯山を右目に流した。登ったのはもう1年も前になるのか。早いものだ。その時の登山装備は、一部を除いてほとんどが切り替わっている。

 

田舎の道がうねっていく。いつか山形から会津若松に抜けるのに通った道を、逆に進む。カフェで向かいに座っていた人と、同じ人だ。道のりには人が乗る。でも、車内は自分の香水の匂いしかしない。

前においしいラフランスを置いていた道の駅に立ち寄ったが、果物がいっさいなかった。あわよくば桃を手に入れ、どこかで食べようと思っていたのに。トイレを済ませてさっさと出る。ここに来るまでに、ネイビーのワゴン車が遅くていらいらした。

熊野大社の石段、気のいい場所。肩が軽くなるというか。

財布の入った白いサコッシュとカメラを下げて、ゆるい傾斜がある参道を行く。杉林。濃いめのブラウンのドレスローファーが、ゴツゴツと石の道を打つ。登った先に、熊野大社がある。

 

一人で来るなら、決まって神社を探す。

神社にいる時間が、他人よりも身勝手なほど長すぎるのだ。一緒に行くと申し訳ない気持ちになるから、一人で行くなら神社。熊野大社には「行ってみたい」のフラグが立っていた。茅葺の存在感は画面越しでも十分に感じ得た。

熊野大社の拝殿。この奥には本殿があって、そこの雰囲気もとてもよい。

三羽のうさぎを見つけると願いが叶うと言われ、本殿裏の彫刻を30分ぐらい見つめていた。二羽は見つかるのに、あと一羽がおぼつかない。三つぐらい「これじゃね?」ってのがあり、定まらない。

「二羽の近くにいるはず」「影絵になってたりする?」「実は大きすぎてわからないのでは」。さまざまな疑心暗鬼が発動するもので感心した。考えすぎても、見つからない物は見つからないのに。Googleを開いて調べれば一発なのだが、iPhoneの電波が入っていなかった。思いに耽る。

風鈴の音色が境内に行き渡る。夏だけの光景だというのを境内の案内で読んだ。茅葺の大きな拝殿に手を合わせる。

今回の旅に願うのは一つだけだ。「幸せになること」だ。私が幸せになりたい。私の周囲の人は、結局のところ、自分がどうにかできる範囲で全力になれるしかない。私には、その人たちの傘になれるだけの余力をお与えください。常にそれなりに元気でやれ、大切な人からのSOSにはきちんと応えられるような暮らしをください。「幸せ」が含む要素は底知れない。

部屋の窓から朝日連峰が見えた。

午後5時半すぎ、ホテルに到着した。荷物をほどく。そういえば、家を出る寸前に、歯磨き用のカップが割れた。陶器製を使っていたのが賢くはないのだけど、取手が割れて砕けてしまった。腕時計を外した。

 

道中。車内での所作に、人の気配が残っているのを認めた。

基本はFMトランスリミッターで音楽を流しているが、ある人との時は、AMラジオが多いこと。プレイリストがMJだったり、ケンドリック・ラマーだったりした。2000代のプレイリストをかけると、カラオケ大会になる。捨て忘れた菓子のゴミは、あの時食べたやつだとわかる。

わずかだが大きさの違うシミのような記憶が、車内の細部に宿りつつある。ただ、他人が宿した細部が私の車内に残るとて、その人が私の中にあり続けるとて、その人の中の私は、想像しうる私ではない。

都合のよい手段であるかも知れず、他人を気に留めず遊んでいる人かも知れず、文句ばかりいう身勝手なやつかも知れない。

わからない。だからなのか、見捨てられてしまう怖さがある。ゆえに、さみしさが常にある。去りゆかれる可能性が常にある、他人。実際に去っていった人もいた。

通り過ぎて、あっという間に別の人に感心が移っていく他人が怖い。そうである人も、残り香を嗅ぎ分けて大事にできるのだという確証が欲しい。

さんざんみてきた薮の一部も、森を歩くことや、その時そばにいた人の記憶がある。常に他人のことを考えてしまう

リリースすることを、いい加減に覚えなくてはならないのかも知れない。思い出の中の人を、その人と思い込むのは違う。美化されている、否応にも。美しい思い出が増えれば、それで満足なのだろうか。私は。死ぬ時に思いだせるカードが多ければ、それでいいのだろうか。まあ、いいのだろうな。でも、それでいいのだろうか。「まだカードはあるはずだ」。年老いてしまいそうだ。

明日、出羽三山に向かう。明日から始まる。まずは「現世」、羽黒山に登る。今のありようを掴むことができたら、それこそまずは「幸せ」なのかもしれない。朝日連峰には帷が降りた。