いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

東京に戻ってきた

3年半ぶりに、東京に戻ってきた。

引越して2日経つ。密集している中に緑を置いたり、狭いアパートを工夫して住みやすくしたりするのは嫌いではないが、最終出勤日の翌日には39度近い熱が出て力が入らなくなり、バファリンをやや過剰に摂取するハメになった。結果、2日間を回復に充てる必要が出てしまった。

ダンボールに強引に押し込んだ荷物は、案の定、都内の物件で開封する時に私を苛立たせ、それによってまた熱が出た。景気づけに韓国料理をUberで頼んだら、ドライバーが配達する商品を間違え、大戸屋の唐揚げ甘酢なんとかが届いた。悪態をつきながら食べ眠るなどしながら、届くべくして届いたものたちを部屋の中に置いた。

 

いただきもののラテベースをようやく開封し、豆乳で割って飲みながらこれを書いている。残るはブラインドだけの状態を迎えるぐらい。あしかけ半年ぐらいかけた転職が、ようやく終わりを迎えようとしている。

南向きの大きなサッシは2m以上ある。ここから、駅近くの1400年代建立の寺に植えられた樹々が、家同士の隙間を縫って見えるのが気に入った。なんとなく、良い気が抜けてくる感覚がある。

狭い部屋だとは思わない。一人で暮らすなら、これくらいの広さで十分。余計なものを買い込むこともせず、むしろ「選んで、減らす」ぐらいの生活でちょうど良い。どうせまた山に繰り出すのだからして、私にはこれくらいで良い。

 

栃木での生活が、なんだかすでにおぼつかない感覚がある。あれは一体なんだったんだろうか、何が残ったのだろうか。

苦しい日々もあった。痛みを受けた。やっぱり栃木県は苦しい場所だったのだろうか。そうではないと信じたいが、精神的な痛みはきっとまた思い出す時が訪れるだろうなという感覚がある。否応なく。

以前の家は、小学校が近くにあったから、平日ともなればチャイムの音が聞こえ続けたし、登下校の時間にはがやがやと小学生が過ぎる声が響いてきた。都内の家は静かな宅地といった具合で、時たま庭先をはく箒の音がかすかに窓から入ってくるぐらいだ。家の中で自然の音を鳴らし、静かな気分になれる。

ここでどうなりたいのかを考える。たくさん仕事をし、技術を磨きたい。ここは基地。私のベースになれ。