いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

沈む太陽 走る女

山合いに太陽が沈む。車道は蛇行しながら北側に折れ、夕陽を左に流していく。

立ち寄ったPAで、その日誰かが作ったシロツメクサの花輪が、石でできた動物の頭の上に置かれていた。立ち寄るのは久しぶりで、いつの間にかできていたETCの出口で、喫煙所の隣にある丘から眺める景色を、無機質なランプが占めるようになった。

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大学からの友人がいつか「みんな、私のところに来るけれど、私を過ぎていく。自分を通過点のように感じる」と話していたことがあったのを思い出した。

たまたま出会った人が、同じような趣味や嗜好で一緒になる機会があっても、それは通過点なのだ。私たちのいく先は折り重ならない。途中で降りてしまう人、JCTを別の方角へ折れる人とが入り乱れ、日が積み重なっていく。今日も陽が沈み、私は北を目指すのだ。

 

***

 

5月の風は暖かく、私を包むように吹いた。5日午後、私は群馬県のある寺の本堂で、目を瞑っていた。

正確には焼失したお堂を再現した建物の中だ。ここは日本に2つしかなかった幕府公認の駆け込み寺のうちの一つ、満徳寺。理不尽な夫から逃れ、門を目指していく人もの女性が一生懸命にやってきた空気が名残る。

 

寺院は資料館が併設されていて、江戸時代の「離縁」を詳しく知ることができる。寺は男子禁制で、代々尼さんによって守られて来た。明治になって寺が廃れてからも地元が寺を守ったとの云われだそうだ。

縁を結びたいと願う人のその人らしさと、縁切りの行為で済まされない憎悪。のっぴきならない物事を、離縁という形でどうにか丸く収めた場所は穏やかだった。

男はより一層呑気で、権力があった時代だろうに。「当時、女性はしたたかに生きていた」資料館の展示場の壁には、こう記されていた。

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本堂以外は基礎が残るばかりだったものの、敷地内にはよく整備され花が多く植えられていた。駆け込んできた人らも、こうして花を愛でただろうか。ところどころに植えられた木々は高く伸びて木漏れ日を作り、日の光を柔らかくしていた。

本堂に着いた時には、誰もいなかった。資料館で縁切りと縁結びを願い、気持ちの整理をつけて来たから、なおさら気持ちは穏やかだった。縁を切るだの結ぶだのはずいぶん身勝手に思えるが、身勝手にも寺をかける人たちを匿った場所がこうして穏やかに残るなら、私のわがまま、身勝手も、爽やかに後世に続くものであれ。文字通り懸命に。