いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

動くものと美しさ

「動物と美について」。有機物に宿る美しさとは。男性/女性の美。社会通念が美の感覚に与える影響とは何か。後世に人物画が残る理由は?

 

美しさとは何かという問いに、最もしっくり来る答えが「生命力」なんじゃないかと思う。この人が、この物が、生きているという感覚を与えられた時に、「美しい」と感じる。

さらには、その人や物が生命力をまず表に出しながら、未だ秘められていると感知するのも重要だと思う。シームレスにその物の内側に通じている必要がある。美しさはあくまでその全容を表に出さない。引っ込んでいる。美が体現されているのは、そういう状態だと思う。

実家の猫は瞳に秘密を宿しているように見える。真っ直ぐ何かを見つめている時、恒星のような両目から捉えている世界があるなと感じる。その世界にはたどりつけないだろうとは思う。その意味での、広大さ。超えることができない領域があるとの知らせ。

 

Miss DiorのCMにナタリー・ポートマンが出ていたとき。SIAの「Chandelier」に合わせて悲哀を包み隠さずに受けたナタリーが「And you, what would you do for love?」とカメラに聞く姿に、ぶちのめされたことがある。

もちろん、広告として制作された過剰さはあった。だが、真っ直ぐに愛のための行為を問う本人は、自分自身にそれを向けたことがある顔をしていた。この真剣さ。なぜこういう顔ができるのか。表層には答えがない。そう感じた瞬間に、美しさが私の脳に宿される。

 

男性であろうが、女性であろうが、いずれの性別でなくても、生物としての強靭さ、へこたれなさ、しなやかさを引き受けている、あるいは、引き受けたことがあるものに、うつくしさを覚える。有機物であれば、この定義は植物にも当てはまる。

森の中に入って感じる生き物の匂い、香り、木々のゆらめき。いさぎよさ、強靭さ、開放性、しぶとさ、年輪、隠さずに、本当に秘めたる部分だけを大事にしまう。自分だけが愛でる部分を丁寧に残す。

人物画には、その人が生きた力が残っているのではないかと思う。肖像画を描かせるのは、その人の生き様や生命力の香りのようなものを画板に落とすためでは。生きた証とまでは行かなくても、人物の絵には、命を感じるから、私たちは無下にできなかったのかもしれない。

表層とその奥にあるもの。隠されているものがあると知覚するには、文字通りの「知性」が必要な気がする。秘匿された生命力の根源を辿る原動力は知性が担う。緩慢なまま生きていたんでは、美しさを感じることができない。「いい」「わるい」が口をつくことはあっても「うつくしい」という言葉が口をついて出てくることはないのではない。私は美しさを感じられる動物でいたい。