いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

理想にだまくらかされないために

理想の生活がある。いや、生活の理想が、ある。

ものは少なく。着るものは最低限に。部屋にあるものはドラム式の洗濯機ぐらい。ミニマムに暮らすと、日々の雑念から自由になれる。それを良しと、心の底から良しと、信じられている人。

持たない生活、ないし、持てない生活。購入への欲望を捨てることで、そもそも欲しいだなんて思わない。そうすることで、自らを整理した生活そのものを欲するように、仕向ける。これは完全に作為的なこと。

 

で、そうした理想に到達できない、自分を責める。結論は初めから分かっている。

 

ゴミは溜めるし、ふとした時にZOZOのCMを見てセール画面に行ってしまうし。ままならない私だ。描いた絵は自分らしいと思っているけれど、結局は他人の借景。景色の違いが、その自分らしさだ。差分である私を愛でる。

 

生活がコマーシャライズされていくのを横目に、私たちはなだらかな坂道とも分からない坂道を少しずつ、その歩みに知らぬ負荷を与えながら降りていく。

 

ある人は、生活の細部や理想化された物事に自分が到達していない欠如を「呪い」と表現した。かつ、物事の不足はいつだって指摘できるとも。難しくいえば、イデオロギーに忠誠を誓っているヤツってことだ。私は理想の奴隷ではないのに。 

 

理想化を促す要素は、都内にたくさんある。何かがない方がいい、あった方がいい。いずれにしても、今のあなたには「ない」。欠如があらゆるところで、売られている。

具体の日常をひたすらに愛でていく。腹が空くだの、片付けができないだの、ややもすると、洗い物を溜めてしまうだの、たまにご褒美で、ちょっと高い入浴剤を買うだの。

「こんなものか」の自分を両の手を交差させて、脇腹を抱く。手の甲を眺めると、少しだけ震えている。私が感知すべき震えだ。誰にも気づかれない、気づかれるべきでもない、人生の肌理。

 

価値のあるなし関係なしに書き尽くせない日常がまず、ある。理想に向かうエネルギーが時折やって来る。呑まれ、時に突き返していけ。烙印は押すな。お前にその資格はない。震えられなくなった私が、最期にやる務めを奪ってはいけない。