いちじしのぎ

生活から一時凌ぎで逃げては文章を書き、また生活に戻る人間の悲喜交交。あるいは、人生の逃避先「山」にまつわる話。

ものの整理

物を捨てるのが苦手だった。

何かしらの理由で家に招き入れた物たちを、まだ使えるのに手放してしまうのに、どこまでも続くような後ろめたさがあった。普段は大して思いもしないくせに、いざ捨てるとなると「ああ、これはあそこで買ったんだっけな」なんて感慨が顔を出しては、そいつに引き止められる。

だが、30歳を手前にしえて部屋を眺めて見たらば、そのようにしてあるものに囲まれていることに気がついた。「捨てたくても捨てられない」を脱出するために、少しずつものを手放すことにし始めた。

 

物を買うのは好きなので、買うものを絞り、その度に売るものを増やしている。シャツ1着を買うなら、クローゼットにある1年は袖を通していないものを複数売りに出す。売値がどんなに安くても、仕方ない。多くは着ていないけども「たくさん着させてもらったなあ」ぐらいの思い出に留まってもらい、手早く段ボールなり袋なりに詰めて古着屋に持っていく。

物を整理する段取りが板につき始め、書籍もたくさん手放した。私にとって本を読むのは因縁みたいな行為でもあって「本を読まなくてはならない。編集は熱くなくてはならない」なんて、呪縛じみたものにずっと囚われている感覚がある。それが少し緩むのを感じた。

 

不思議なもので、こうして物の整理をしていると、気持ちの方も幾分楽になってくる。先月よりも余裕がある本棚とクローゼットの中は、毎日眺めるものだからなのか、日常に少なからず必要ではある緊張感に、不要な部分があったのかもしれないと気がついたからだ。

これは物と人との関係の話。人間となると、どうなるのか。売り捌くように手放す直接的なことはできないし、その後のしこりになってはむしろ手放せなくなるからやりたくもない。とはいえ、そんな予定はどこにもないことをありがたく思う年の瀬。